平成21年度 農林水産省 にっぽん食育推進事業

「大人の食育」学習会

地域食材と江戸の食文化

開催日 平成21年7月26日 PM1:00〜4:10
会場 家の光会館 コンベンションホール
第1部

演 題 『リサイクル都市 江戸の食文化』

講演者
永山 久夫さん

『よく笑う、江戸』

米・刀・女の才知・富士の山・畳・美濃紙・味噌・鰹節


講演者 永山 久夫氏プロフィール
■食文化史研究家・食文化研究所所長 ■昭和9年福島県生まれ。■日本の伝統的な食文化に関心を持って研究を進める一方、各時代の食事復元研究に関しては第一人者であり、NHKテレビでも「堂々日本史」や大河ドラマなどで、食事の再現に協力している。また、長寿村の生活から、「日本人が世界でいちばん長生きできる背景は何か」という謎に迫り、和食を中心とした長寿食の研究でも、マスコミで大活躍している。テレビやラジオ、講演、新聞などで多方面にわたり活躍中で、主な著書には「戦国武将の食生活」、「万葉びとの長寿食」、「卑弥呼の不老食」、「和食革命」「食べもの古代食」、「長寿食365日」他多数。





 食がまわれば、命すこやか。食がうまく循環していれば人間の健康は健やかである。そういうことを江戸時代の食文化をもとにして考えてみたいと思います。江戸の食文化を一言で言えば、「作る、食べる、養う、戻す」です。まずこれを覚えておいてほしいと思います。
「作る」は農産物など、「食べる」は日常的行為です。「養う」を話す前に、江戸の人口を考えてみますと、中期が100万人。50万人の武士と50万人の町人が生活している。町人の70%が長屋住まいをしていますが、長屋が9尺2間といいますから3坪です。6畳に夫婦と子供が生まれれば同居生活します。棟割り長屋が並び、真ん中に細い路地があって、路地の真ん中に下水溝があり、奥の方に井戸端があり、その脇にトイレがある。井戸端では炊事をする。洗った物は下水溝を通って堀とか川に流れます。残飯が餌になる。つまり、淡水魚が養われていたわけです。養うとは人間の命だけじゃなくて、魚とか一緒に共存している生き物も養うんですよ。これも「養う」で、魚などが回収されて「戻る」という意味になります。人間が食べた物や排泄物を耕作地に戻すという意味です。
江戸は何にもなかった所に出来た都市ですから、地方から出稼ぎの方が多く、ほとんど男社会です。江戸末期にはバランスが取れてきますけれども、中期では50万人のうちの30万人が男ですから、魅力的な生き方をしないと嫁さんが来ませんから、洒落が上手くて、粋な気質が育ちました。皆さんはこういう時代に生まれてなくてよかったですか。
「作る、食べる、養う、戻す」。これがしっかり行われていた江戸時代は、日本の食文化の原点であると、私は信じております。

 江戸時代の人たちが、江戸末期の頃に考えたという日本自慢があります。それは米、刀、女の才知、富士の山、畳、美濃紙、味噌、鰹節です。日本人にはこんなに素晴らしいものがあるじゃないか、堂々と胸を張っていればいいんではないかという気持ちではないかと思います。
「米」は主食。素晴らしい米の文化もある。米の文化とは藁の文化、稲の文化ですね。現代は食料の米だけの文化で、米しか見ていませんね。江戸時代には稲藁がいろんなところに使われ、生活文化の力になっています。バッグ、赤ちゃんを寝かせる寝どこもそうですよ。田植えの時に人手が足りないものですから、子供を見る暇がなくて藁で作った寝どこの中に入れて置かれました。私なんかも経験あるんですが、子供は出られないから、お腹が減らない限り眠っているんですね。俵も、縄も、莚も、畳も、布団も、弁慶もそうです。弁慶って分かりますか、焼魚を串を刺す道具です。魚を燻製にする時に囲炉裏の上にありますね。藁の用具は、いずれ一年以内に土に戻るんです。畳だと三年は使いますけれど、古くなれば切って田んぼや畑に敷き、堆肥にして土地の力に役立てます。そうやって循環してきたわけです。

江戸時代の人口は3千万人。現在は1億2千7百万ですから4分の1。米の収穫量は3千万石。人口にぴったり合って、一人1年一石を食べてます。自給率100%ですよ。豊臣秀吉の頃から一年に一石の米を食べ、大豆を一俵食べ、塩を一斗食べています。一石一俵一斗が伝統的なカロリーの取り方です。白米を食べていましたけれど、戦後の日本人とお米の利用法に決定的な違いがありますね。昔は、米を搗く職人がいて糠を利用していた。これが重要なんですよ。糠漬に利用し、大根、ナス、キュウリとか沢庵も作りますが、漬け物から糠に含まれるビタミンB1を回収するんですね。B1を取らないと脚気になってしまう。暮らし方が実に上手く出来ていますよね。
「納豆と、しじみに朝寝起こされる」という川柳がありますが、江戸の町は朝早くから納豆売りとか蜆売りがきます。納豆も中期頃までは「たたき納豆」で、たたき納豆というのは味噌汁に入れて納豆汁を作るのですが、それとは別に「ねばねば納豆」が出てくるんです。これは醤油の普及です。ご飯に納豆をかけて、味噌汁を食べて、朝早くから仕事に出かけて行くんですね。
 鰹節にこういう川柳があります。「乳もらいの袖につっぱる鰹節」。子供さんは生まれたがお母さんが死んでしまったからお乳をあげられない。離乳食には削った後に残った鰹節を離乳食にします。それでも泣く子供がいると、隣近所でお乳の出るお母さんから乳もらいをする。みんな喜んで応じるんですよ。江戸の時代、江戸の町は町人の七割が長屋住まいをしていますが、こうした人情の響き合う時代だった。人情とか思いやりが響き合うんですよ。今から考えれば、劣悪な住環境だと思いますけれども、住みやすかったんじゃないかなと思います。

皆さんの体には20種類のアミノ酸で出来ています。20種類のアミノ酸のうち9種類を必須アミノ酸と言います。この必須アミノ酸をきちっと取れないと、健康がおかしくなってしまう危険性が高くなります。必須アミノ酸の中にはトリプトファンがあります。これが重要で、多分、現代の日本人に一番不足しているのかもしれません。一年間に3万2千人の方が自殺しています。1日100人ですよ。何故こんなに自分の命を粗末にする時代になってしまったんだろうかと思います。
そこへいくと江戸時代は全く反対だと思います。その原因は大脳生理学から言えば、トリプトファン、セロトニン不足だと思います。江戸の人たちが明るかったのは、セロトニンがたくさん出たんですよ。江戸の社会はセロトニンの社会と言って間違いないと思いますね。ちなみに、トリプトファンというのはセロトニンの原料です。
納豆、蜆、鰹節。朝は、まず納豆を食べる。蜆を食べる。それから鰹節を使う。セロトニンが鰹節に沢山含まれています。セロトニンの出る人は明るいんですよ。明るいから人から好かれる。江戸の長屋に住んでいる人はそういう人ばっかりだったと思う。だから260年も続くんですよ、そういう時代が。江戸時代というのはもっともっと見直されていいと思います。

セロトニンは私たち人を元気にする。セロとニンは鰹節に沢山含まれています。五訂成分表の栄養成分表にアミノ酸組成表があります。セロトニンが二番目に多いが鰹節です。セロトニンというのはたった一つの材料から作られます。トリプトファンで、それを江戸時代の人たちは江戸の初期から食べてきました。鰹節は離乳食に使うくらいですから、赤ちゃんの頃から鰹節の味は脳細胞にインプットされているんだと思う。鰹節の出汁の利いた味噌汁を食べないと味噌汁を食べた気がしませんというわけです。それが江戸の社会を明るくするのに役にたってきたのだと思います。 
セロトニンは鰹節に多く含まれているんですけれども、納豆にも蜆にも共通して含まれている成分です。
朝起きるのが早いということは、朝日を浴びるとセロトニンは増えますから、ここでも江戸の社会というのは明るく楽しく笑いの溢れた社会だったんだと思われます。自然と共存していれば、知恵が自然に働いて楽しい生き方って出来るんだと思います。
江戸はギャバライス人だった。ギャバって聞いたことありますか? イライラを防ぐガンマーアミノ酪酸です。米に含まれるグルタミン酸が水の中の酵素で分解されてギャバを作るんです。江戸の町の人たちが食べていたご飯は間違いなくギャバライスですよ。というのは、江戸の町では、朝、ご飯を炊くんです。上方ではお昼です。江戸の場合、朝にあったかいご飯で、お昼は冷たいお茶漬けか何かで食べる。夕方はまた冷たいご飯を食べます。朝、ご飯を炊くのには竃で炊くんですけれども、二間九尺というすごく狭い6畳一間の部屋ですから、竃は隅っこの方にあって狭い。前の晩に米を浸して置くと、今みたいに完全100%白米じゃないと、米に含まれているグルタミン酸が水の中の酵素で分解されて、ギャバを作るんです。江戸みたいな超過密社会でイライラしないで生きるのは大変だったと思うんです。しかし、そうやってイライラを和らげていた。それが江戸時代なんですね。
 私は縄文、弥生、奈良時代とずっと研究して、この時代はどういう養生の仕方をしたんだろうか、病気になった時どういう薬を飲んだのだろうか、どういう病気が多かったんだろうか、おかずはどういうものを食べていたんだろうかなどを大学で研究してますが。そういう流れの中で見ると、江戸時代が一番面白い。この時代はほぼ270年続いて、100%自給率ですよ。世界中に影響を与える芸術作品を作ってます。こんな素晴らしい創造性ってどこから生まれたんだろう。それは食ですよね。非常にクリエイティブ、創造性が高いのは、米によるものですよね。
美味しいご飯を炊くための呪文みたいなものですけれども、「初めちょろちょろ中ぱっぱ」ってありますよね。今は竃でご飯を炊く人は少ないですから、理解し難いことだと思いますが、米は前の晩に潤かす。ざっと5〜6時間水に漬けて置きますとギャバが発生します。電気炊飯器は水に浸けないも美味しいご飯になってしまうんですが、ギャバがどこにも発生する時間的な経過なんてない。前の晩に米を研いで欲しい。それでギャバライスにして欲しいですね、江戸の人達のように。
 
「刀」。日本料理に刺身がなければ料理と言えないほど大事ですが、刺身は切り口が問題です。スパッとした切り口には、包丁が切れなくちゃならないんですよ。日本の刀って非常に切れ味が鋭い。切れる包丁はどうやって作ったんだろうか。捲り工法という方法があります。芯に鋼を入れるんです。その周りを柔らかい鉄で巻いて、何回も鍛えます。真っ赤に焼いて金槌で叩くとパッと火花が散りますね、あれを出さなくしていきます。つまり、刀の物体の中の酸素を段々消していく。そうやって切れ味の鋭い片刃の包丁を作ります。そのくらい日本人は切り口に気を配った民族なんです。それが刀ですね。

 「女の才知」。女の才知というのは、今日の家族の健康状態はどうなんだろうと、それを見ながら、それに合った料理を作るんですよ、お母さんというのはそういう知恵を持っています。そういう女性を指して言います。台所のお医者さん、ホームドクター。そういう存在ですね。そのために「走り、旬、名残、時無し」をしっかり覚えているんです。これを覚えてないと、今何を食べたら一番体に力がつくかが分からないわけです。
「走り」があり、この時期が終わると、今度は「旬」が来ます。これが過ぎると、「名残」が来るんです。その他に「時無し」があります。これが上手くミックスした時に完全な料理になると思います。走りは旬の前を言い、十日くらいで変わってきます。こうして日本人は一つの食材を一か月かけて楽しんでいます。楽しんで終わったらば、もう来年まで食べない。そういう潔い食べ方をするのが日本人です。
「走り」にはビタミンCとか、味がまだ固定していないですよね。しかし、季節の到来を何よりも先に教えてくれるんです。それが嬉しい。「旬」はビタミンCが一番多い、それからβカロテンとか、食材によって含まれているものが違いますけれどもあらゆる成分が多いです。旨み、つまりブドウ糖を増やす食材だったら甘くなるように、こういう成分が濃縮された状態にありますね。ホウレンソウの旬は冬ですよ。ビタミンCの含有量が三倍くらい違います。江戸時代は旬しかなかったんですよ。後期になって促成栽培が出てくるんですけれども、それはもう量からいったら微々たる物です。
 走りがあって、旬の十日間があって、名残の十日間があって…良いでしょう、名残の味なんて。そういう意識が日本人にある。美しいんですよね。
「時無し」。保存食という意味ですけれども、とても重要ですよ。基本的に発酵食品のことで、味噌も漬物も自分で作りますから、どのくらい時間が経過すれば食べ頃とか、美味しくなる頃が全部分かるわけですよ。江戸のような小さい所、小さいというのは家のことですが、縁の下で漬物を漬けますね。台所の板の間を開けると下に瓶が入っていて、そこで糠漬けを漬けます。人によっては味噌も作ってますが、そうすると、空間の中に生きた微生物がずっと生き続けるんです。居付きの菌ですが、住んでいる人たちの健康を守る上で非常に役に立ったんですよ。まるでペニシリンみたいに役に立ったんだと思います。
それは全部が女の才知ですよね。何を食べればいいんだという知識を持っていたということです。家族の健康管理をしていたんですね。

 「富士山」。江戸の町ではどこからも見えた富士山は霊峰です。こんな素晴らしい土地というだけでなく、人々の心を癒していた、そういうことです。

「畳」。ヒーリング効果ですね。夏なんか浴衣一つで寝ると非常に心地良くて、開放感がある。畳にゴロッと30分くらい寝ると、背中に畳の目がつきます。そのくらい圧迫されていて指圧を受けているのと同じです。体が凝ってると思ったら寝ればいいです。「美濃紙」は障子紙のです。紙は通気性があって、家の中に射す光がやわらかい。人工的な光よりも安堵感を与えます。家は畳がまず熱を保存し、障子がまた同じ効果がありますから、冬は暖かいですよ。畳の生活すると十年長生きすると言われますよ。絨毯なんかを使っている場合じゃないですよ、今からすぐ畳に大の字になって寝てください。

 「作る、食べる、養う、戻す」。これが江戸の食文化、ライフスタイルです。農産物を作る、人間が食べる。湿地帯を埋め立てたので川とか堀の多い江戸の町には魚が上がってくる。蜆が繁殖する。そこに住んでいる人達と魚の関係が理想的だったと思います。    
会場の皆さんは、ご自分で味噌を作ってらっしゃる方いらっしゃいますか? たくさんいらっしゃるんですね。私は江戸の食文化大好きで、江戸時代の「蕎麦たれ」を作りたかったんで、今は「つゆ」って言いますたれは「味噌だれ」で、味噌に鰹節と酒とお湯を入れて袋に入れて垂らして、垂らしたたれを別にして蕎麦つゆを作るんです。これはちょっと塩っぱいです。塩っぱいのには理由があって、江戸時代の人達は体を使ってますから、塩分が多くなければ健康維持が出来なかったと思います。

江戸の人びとはよく歩いた。江戸時代、天保頃に書かれた『江戸繁盛記』という本の中に江戸の高齢者の話が出ています。書いたのが寺門静軒という大変有名な漢文学者で、行楽地まで行く若侍の散歩の話とか、日本橋にある呉服屋さんお上さんが70歳で男の子を産み「何と憎たらしいんじゃありませんか」と周りの人の評判になったとかあります。江戸の人達というのは、70歳になっても子どもを産む力があったほど健康だったと言うことでしょうか。その話の後に、市谷八幡のお茶屋さんが出てきます。ある時若侍がそこを通ってお茶屋の女将さんに「よくここでお茶を飲むんですけれども、いつお見かけしてもお元気。なんでそんなに元気なんですか?」と。連れあいが88歳になりましたという女将さんの答えから、女将さんはだいたい80歳くらい。長生きの理由は、ちょっと言いずらいんですよね・・・その女将さんは若侍に「私達は70歳まで睦みあいました。70過ぎてから睦みあうのを止めました。」と答えた。そのくらい元気があったんですよ。
 なぜそんなに元気だったんだろう。江戸の人達はよく歩くんですよ。日本橋の呉服屋のお上さんも、ちょっとそこまでと言って一里くらい歩いてしまう。ちょっとそこまでですよ。一里行けば帰って二里になります。そういう体力があったんですよ。

 排泄物は米や野菜に循環する。今日は皆さんも、江戸の長屋の住人になったつもりでセロトニン人間になって欲しいと思います。いつもニコニコして欲しい。江戸の生活のシステムはセロトニンが出るようになってました。朝早く、明星が引っ込む前に納豆とか蜆とか豆腐などたんぱく質を多く含んだものを売りにくる。たんぱく質には、アミノ酸の含有量を調べてみるとトリプトファンが圧倒的に多いです。それからレシチンもありますね。レシチンは脳の中の神経伝達物質の原料ですから、非常に創造性が高いですよ。
江戸の人たちは、一年に一石のご飯を食べますから、排泄量はすごいです。町の近辺の練馬とか渋谷の畑ではそれを肥料に使って新鮮な野菜を作ります。町の近辺の環状線周辺では大豆とか豆を作り、その先ではサツマイモあるいは米を作る。政治的な判断もあったんだと思いますけれども、これが地政学的に実に上手く出来ています。100万人の人達が一年一石食べるんですから100万石のうんちです。100万石のうんちを農家が買いに来るんです。排泄物は米を作ったり野菜を作ったりという循環をするんです。この循環をどこかで間違ってしまったんじゃないかと思うんです。日本に住んで幸せなんだろうか。そうじゃないと思いますね。

「鰹節」。日本人に生まれて良かったなぁと実感する時間が、鰹節を使うか使わないかで違うと思ってます、僕は。とにかく鰹節のトリプトファンを取って欲しいんですよ。セロトニンはハッピネスホルモンと訳されています。幸せホルモンと訳されているんですよ。江戸の人達はハッピネスだった。幸せだったからほぼ260年もあんな狭いところで生活出来たんですよ。あんな劣悪な生活環境であんまり病気はしない。ご隠居さんになると、今までやりたいなーと思ったことをまたやり始めるんです。こういうすごい例がありますよ。
一生懸命働いて少しずつ田んぼを増やしてきたおじいちゃんが80歳になり、息子が立派な人で、「お父さん、もう一生懸命働いたんだからそろそろ隠居されたらいかがですか」と言われて隠居する。何か望みがありますか、と息子に聞かれます。モジモジしながら「隣村に小綺麗な娘がいるから嫁にもらってくれまいか」と言うんです。奥さんは死んで独身なわけですね、その80歳のおじいちゃん。隣村の娘は結婚する前だから10代。いくらなんでもそんな出来ないでしょう。世間体もあるんじゃないですかと息子はさすがに止めるんです。「いや、そんなことは無い。あそこは貧しいから、私の財産を半分以上あげてもいいから、とにかくもう一回人生を一からやり直したい」。結局、お嫁さんが来るんですよ。子どもを二人作ります。80歳になってからですよ。なんでそんな事がわかったかと言いますと、江戸の寛永寺に、ある日女性が二人子どもを連れて来るんですよ。うろうろしていたので和尚さんが聞くと、実はこうこうで、死んだらあそこに埋めてくれって私の連れ合いが言ったんで墓を貸してもらいたくて来ましたと。そこでわかるんですが、その人は88歳で死んでます。そういう元気な方がたくさんいたんですよ。これは食生活だと思います。ここまで話をしてきたようなものを上手に組み合わせて食べる。これが基礎体力を作る上で非常に役に立っていたと思います。

漬物が似合うまち。食育という言葉がありますけれども、江戸時代の長屋の生活を見ると、そんなこと言わなくても自分できちんと身につけていくんですよね。例えばこういう川柳があります。「夕立に取り込んでやる隣の子」。つまり隣に子どもがいて、その子どものうちの隣のうちに誰も居ない。しかし洗濯物があって雨が降ってきた。でその子どもが自発的に取り込んでやると。そういう親切心が非常に育つんですよね。
先ほどの「乳もらいの袖につっぱる鰹節」。さらに「香の物、隣へ漬ける独り者」。ご飯を食べる時に必ず漬物が付くんです、江戸時代は。これは単に食感とかそういう事だけじゃなくて、本能的にそういう選択をしたんだと思う。昔の漬物というのは完全に酵母があります。酵素が含まれている。乳酸菌が含まれている。非常に胃薬のようなそういう機能を持っていたと思うんです。一年に一石は1日5合食べる。5合というと750g。今190gくらいしか食べてないですよね。750gをカロリーで換算すると2600cal。今皆さんは2000calくらいしか取っていませんよ。たくさん米を食べるとどうやって消化するか。あるいは米に不足している分をどうやって強化するか。そうすると糠漬ですね。
先ほどいいましたけれども、米糠は玄米の外側の成分ですから、玄米に近い働きを持っています。結果的にお腹の中で玄米になってしまうんですよ。しかも発酵させていますから、消化酵素であるとかいっぱいつくわけです。
江戸の町は独り者が多いわけですから、本当は自分で漬けたいんですけれども面倒くさい。しかし、隣へ持って行って漬けて下さいって言うと、隣の人は簡単に引き受けてくれるんですよね。それとこういうのもあります。「こう下げて行けと教える菓子袋」。菓子が落ちない袋の持ち方を子供達に教えている。日常から大人と子供のコミュニケーションもあった。それが江戸のライフスタイルですよね。大したもんですよ。
 
 江戸の文化は知恵ばかり。江戸の町の象徴的な食文化を一つ挙げると、にぎり寿司だと思う。これは米文化なんですよ。上に乗っている魚の文化ではないです。当時の寿司は一口半から二口くらいの大きさと言われています。こういう諺があります「五貫ちゃんちき」。大人が一回に食べる寿司の量の事を言います。「五貫」というのは五種類の寿司という意味ですよね。せいぜい食べても五貫くらいしか食べられない。当時は四本の指で握ったと言いますから、かなり大きいはずです。「ちゃんちき」は太鼓を叩くバチ二本の事を言います。寿司5貫を置いてその脇に海苔巻を互い違いにして置く。これが正式なにぎり寿司の食べ方で「ごかんちゃんち」と言います。
そう考えると、非常に米を食べる文化であると分かりますね。どうやったらもっと米を美味しく食べられるかという事を常に念頭に置いて、いろんな料理を作っていた。そういう事を考えると、現在、私達はかなり衰えてしまったのではないか。そういう感性というか、技術というか、そういう点で江戸の文化はいくら学んでも底が深い、限界が無い、そういう感じがしています。
 そうだ、納豆ですよ、納豆。納豆食べてます? あれは江戸の食文化ですよ。これはすご! 藁一本には納豆菌が胞子の状態で大体1千万個付いています。1千万個ですよ。東京の人口と同じです。どういう所の藁が良いかと言いますとね、田んぼがあって、土手があって、土手の下に小川があるような状態で作られた藁が一番良い。納豆菌が多いいんですよ。普通、皆さんは40gくらいの納豆を食べているはずですから、一回に四百億個。こんなに菌が生きた状態で体の入ってくるのは少ないと思います。あれは朝食べる。朝食べるのは、鰹節の入った味噌汁と非常に相性が良い。イノシンサンというアミノ酸、旨みの成分ですけれども、グルタミン酸と合うんです。しかもネギを薬味に使います。ネバネバはポリグルタミン酸という成分です。それがフラクタンという成分になるんです。フラクタンというのは糖質です。今度納豆を食べる時ぜひ試してほしいんですけれども、箸を立てて、まず右に15回、終わったらば左に15回、合計30回。これが一番です。納豆は空気を混ぜないと食べられないんです。一番良いのは合計30回くらいです。ネギの成分硫化アリルが臭いを消す上で役に立ちます。
 
もう一度を江戸にする。そうこう考えれば江戸の食文化というのは、未来の日本人が何を食べたらいいんだろうか、どう食べたらいいんだろうか。そういう事の宝庫のような感じがしますよね。今、日本人は自信を無くしていると思うんです。しかし、見方を変えると65歳以上の方の高齢化指数22%です。最終的には40%になるはずです。お年寄りばっかりの国になる。これは魅力になって行くと思う。どこの国もお年寄りがそんなに多い所って無いですよ。あの国に行くとお年寄りが元気でしかも活発に働いている。そういう国にしたら、また別な日本という国の魅力が出てくると思うんです。
ですから東京という名前をもう一回変えて江戸としたらどうですかね。そうやって江戸の文化を見直し、みんな江戸っ子になってしまうんですよ。川も復元する。9尺2間の長屋、六畳一間はちょっときついかもしれませんけれども、しかし、人情があって住みやすいと思うんです。
以上で私の話は終わります。最後にみんなで笑いませんか。江戸の社会って笑いが溢れていたと思います。しょっ中笑ってるんです。笑うとナチュラルキラー細胞が増えて、病を予防します。私が笑いますから皆さん笑ってくれます? 腹をよじって笑ってください。あはははは・・・・。
どうもありがとうございました。

(引き続き、第2部『エコタウン・江戸の食と農』を掲載予定)
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